▼端午のいわれ▼

「端午」は古来、月初めの午の日を指しましたが、奇数月の同じ数字の重なる日を節供としたならわしから、何時の頃からか五月五日に限られるようになったものです。この日を、「子供の日」として祝日に定められたのは、昭和23年。厄除けにつながる菖蒲湯の風習を残しながら、武者人形を飾って男の子の成長を祝う習慣は、わが国独特の「端午の節供」行事として現代にも受け継がれています


▼端午の節供は「菖蒲が源」▼

端午の節供は、もともと中国の習俗を起源としています。古く中国には五月を忌み、初午の日に薬草によって災厄や病魔を払うならわしがありました。その風習が日本に伝わり宮廷や武家の年中行事として発展したのが起こりといわれます。菖蒲やよもぎなどの薬草を軒に指し、厄除けをする習慣はその流れをくむもの。桃の節供に対し菖蒲の節供といわれるゆえんです。


▼江戸時代に定着した五月人形▼

菖蒲が「尚武」に通じることから男子の武運栄達、さらには健やかな成長を願う行事として、端午の節供江戸時代中期に定着しました。 紙の鯉のぼりや家紋を入れた内・又鎧・兜も登場し、男児の成長と無病息災を願う行事は武家社会を中心に盛んに行われるようになりました。鯉のぼりを立てることは、男児の誕生を天に告げ、その守護を願う為の目印ともされています。


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